May 20, 2011

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【韓流ロケ地を歩く】

 朝鮮半島を東西約250キロにわたって横切る軍事境界線。その南北両側にそれぞれ2キロ幅で、武装兵の立ち入りが制限されている地域がある。「非武装地帯(DMZ)」である。韓国と北朝鮮による南北緊張の発信源だったこの地帯にはいまも大量の地雷が埋まり、最前線の緊張感が漂う。北朝鮮の目と鼻の先で任務に就く韓国軍将兵の息遣いはそのまま「JSA(共同警備区域)」や「シュリ」など数多くの映像作品の題材になってきた。DMZの画定から、7月で58年。2004年に韓国で封切られた映画「DMZ」の舞台となった韓国北部を歩いた。(加藤達也、写真も)

■実話に基づく「DMZ」

 映画「DMZ」は“さわやか”キャラで日本でも人気が高い韓流グループ、UNのキム・ジョンフンが大学の映画科出身の1等兵、キム・ジフン役で主演した作品。原案はイ・キュヒョン監督の実体験に基づいている。

 作品の時代背景となったのは1979年10月。韓国では朴正煕大統領(当時)暗殺事件が発生、南北の軍事緊張は極度に高まっていた。

 主人公、キム1等兵は北朝鮮軍の動向を把握し、侵攻を真っ先に阻止する捜索隊に配属される。ある日、韓国侵攻のために掘った「南侵トンネル」から北朝鮮軍のゲリラ数十人が南へ侵入していることが判明。捜索隊は北朝鮮兵士を発見し、激しい局地戦になる。戦況は激しく、拡大すれば第2次朝鮮戦争へと発展しかねない事態に…。

 撮影には韓国北部の山岳地帯が使われ、当時の韓国陸軍内のシゴキをはじめとする人間関係、警備の状況などがリアルに再現されている。

■勇猛果敢の第5師団

 映画の舞台となった「DMZ」を訪ねてみた。実際には、DMZは厳重に警備され、中に入り込むことはできないので、限りなく近い南側の軍管理施設とその周辺をめぐるツアーに便乗した。

 ソウルからバスで休憩を挟みながら北へ約2時間。京畿道漣川(ヨンチョン)郡の最北端地域に韓国陸軍第5師団の「ヨルセ展望台」がある。

 「ヨルセ」は韓国語でカギという意味。「陸上における対北朝鮮警戒のカギを握る」という意味で、師団エンブレムには数字の「5」をカギのようにレタリングしたマークが採用されている。

 展望台へ向かう車は一般人の無許可立ち入りを制限する「民間人統制区域」を通過する。この際、検問所で一時停止。あらかじめ届け出た名簿と乗客を照合される。

 チェックが終わり再び動き出したバスの窓から軍施設の入り口に目をやると、ゲートにかかったアーチ状の看板にこんなスローガンが。

 “金正日を刺し殺しちまおう! 金正恩を殴り殺しちまおう!”

 おりしも韓国軍による故金日成主席と金正日総書記の写真を標的にした射撃訓練に北朝鮮側が猛反発しているさなか。第5師団の勇猛果敢ぶりがうかがえる。

 展望台では、屋内の視聴覚室で朝鮮戦争開戦からDMZの成立の過程や、第5師団本部の場所が戦況とともに変遷した様子をまとめたビデオを上映。その後、専属の広報担当兵が展望台周辺の南北対峙(たいじ)状況を精巧に再現したジオラマ模型を示しながら流暢(りゅうちょう)な英語で説明してくれた。

■山なみ切り裂く鉄条網

 展望台に出ると、軍施設のすぐ北西側の切り立った急斜面にそって北東から南西にかけて鉄条網が延々と連なっている。

 DMZと軍敷地を隔てる編み目フェンスに触れようとすると「触らないで!」と声が飛んできた。よく見るとフェンスの編み目を縫うようにケーブルが走っている。案内の兵士によると、センサーだという。何らかの接触を感知すると警備室で状況を確認し、それでも不審な点がある場合には安全装置を解除した小銃を持った兵士が飛んでくる。

 監視所は涼しい風が吹き渡り、鳥のさえずりも聞こえるのどかな山岳地帯の頂上にあるが、上から見ると、その風景を物々しいフェンスが切り裂いて、やはり眺望を楽しむというムードにはなれなかった。

 韓国ではこうした最前線見学を「安保観光」と呼ぶ。国民や外国人観光客に“最前線の緊張”を体感させ、朝鮮半島をめぐる安全保障環境を理解させるのが趣旨だという。

 見学の最後に訪問者にはさまざまな色のリボンが渡される。平和を願うメッセージを書き込み、指定された場所にくくりつけるよう指示された。「赤化統一反対」と書き込んだツアー参加者のリボンが印象的だった。

■いまも朝鮮戦争の遺構

 1953年7月27日、3年あまり続いた朝鮮戦争が休戦。同時に軍事境界線が画定され、南北両側へそれぞれ2キロの幅で、非武装中立地帯が設けられた。

 韓国北部に位置する江原道と京畿道の北端地域には、朝鮮戦争最悪の激戦地が含まれる。特に江原道には、1945年9月からしばらくの間、北朝鮮が支配し、その後、韓国が取り返した地域があり、当時の様子を今に伝える貴重な史跡がある。

 その1つが「金日成の別荘」だ。江原道高城(コソン)郡の日本海に面した建物で、日本統治時代に建てられた洋館。朝鮮戦争前には故金主席が幼少時の金正日総書記をつれて時々避暑に訪れた場所として知られていた。

 建物は老朽化していたが、1938年ごろの写真を基に地元当局が2004年に復元。内部に資料展示スペースも設置されて翌年から一般公開されている。

 この別荘から徒歩圏内には、韓国の承晩元大統領の別荘もあるが、こちらは平屋の簡素なつくり。豪華な金日成の別荘との対比が面白い。

 一方、最大の激戦地といわれる鉄原(チョルウォン)郡には、韓国軍に破壊されて廃虚となった朝鮮労働党の旧庁舎が保存されている。

 建物は、鉄筋も鉄骨も使わないコンクリート流し込みの旧ソ連式建築物。屋根が落ち、内部はほぼ空洞になっていて、戦闘の激しさを物語っている。

 特に、正面玄関に通じる急なコンクリート階段には、韓国軍が戦車で上ったとされるキャタピラの後が生々しく残っている。

 江原道は軍事境界線を隔て北朝鮮側にもある“分断の道”。地域そのものが、南北分断の歴史と現状を知る上で貴重なジオラマ展示場となっている。

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Posted at 08:55 in Economy | WriteBacks (0) | Edit
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